Composer

小さくても波紋を起こすことの出来る楽曲を・・・

 

山口:今日は、作曲家としての岩瀬さんにいろいろとお聞きしたいと思っています。作曲活動を始められたのはいつ頃からですか?

岩瀬:作曲家というとなんかくすぐったいですねー。便宜上使ったりしますが「作曲者」ぐらいがいいんじゃないか?と思いますよ。私は「家」ではありませんからね。(笑い)曲作りを始めたのは中学生の頃です。その頃はフォークソングが流行っていて、「結構身近なことが歌になるんだ、こりゃ面白い!」と思ったのがきっかけでした。家の近くに火葬場があって「火葬場の煙」という歌なんかも創りました。♪あのー そらをー のぼってくけむりはー きのうまでー いきてたけむりー♪なんてねー。中学生ながら「生と死」について考え始めていたんでしょうね。

山口:面白い歌ですね。それから間もなくして現在につながるグループ結成となるわけですね。

岩瀬:そうなんです。中学生の頃「ミュージシャンになれたらいいなぁ」とぼんやりと夢見ていたんですが、それが数年後にはどういうわけか実現してしまったわけです。実力もないのにねー。コンサートの前になると自分が写っているチラシがお店の窓に貼ってあったりしてびっくり!そりゃあ嬉しかったですよ。

山口:それから本格的に作曲活動を始められたわけですか?

岩瀬:その頃は、あんまり曲はつくっていなかったです。どっちかっていうとボーカルとかギターとかの練習が多くって・・・本格的に作曲というとやはり劇音楽に関わり始めてからですね。

山口:誰か影響を受けた作曲家とかミュージシャンはいますか?

岩瀬:昔のことなので、今の若い人達は知らないと思いますがシャンソンのジョルジュ・ムスタキとか好きでした。「遅すぎる」とか「私の孤独」とか、すごくいい詩だったので・・・それからジム・クロウチも好きでしたねー。どちらもやさしくって美しいメロディを書いたアーティストです。でも、その頃は専門的な知識はあまりありませんでした。はっきり言って「ただ音楽が好きだっただけ」というレベルです。でも生意気に作曲活動はもうしていましたよ。依頼があったからですが、実は最初楽譜も書けなかったんです。そこは「必要はなんとか・・・」とか言うやつでだんだんと覚えていったわけです。

山口:へぇー そうなんですか?意外ですねー。

岩瀬:作曲というと、作曲家の熊谷賢一さんのお宅にはよくうかがいました。22・3歳ぐらいのころかなぁ?一週間に一度ぐらいでしたが2・3ヶ月は通ったかな?授業料を払っているわけでもないので、さぞかし迷惑だったと思いますがいつも快く迎えてくださって・・・やっぱり音楽が好きでたまらなかったんでしょうねー。質問もしていないのに、自分の楽曲を演奏しながら和音進行のことやアレンジについてのことなどいろいろ教えてくださったんです。熊谷さんは天才的な作曲家で、今でもあんな素晴らしい音は私には創れないと思っています。そんな方に直にお話を聞けたというのは幸運としかいいようがありません。

山口:岩瀬さんの行動力もすごいですね。

岩瀬:でも、結局自分の力に自信がもてなくなって・・・30歳ぐらいになった時「もうやめちゃおう」と思ったんです。それで、プロデュースを始めました。才能のあるアーティストを世に紹介する仕事の方が自分には合っていると思ったんです。プロデュースを通じていろんなアーティストと出会いました。その中に中国の作曲家/王燕樵さんがいたんです。王さんは中国中央管弦楽団の作曲家(元)で「琵琶協奏曲」という有名な作品も書いていられる方で、小澤征爾さんとも親交があるという実に国際的な作曲家です。その王さんが「あなた作曲やるといいです」と片言の日本語で言ってくださったんです。最初は「ぼくになんか・・・」と笑っていたんですが、お付き合いする内にとても自然に音楽についていろいろと教えてくださいました。古典から現代音楽に至るまで素晴らしい見識を持っていられる方です。なんせあの大国の超エリートですからね。そんなことがあって「もう一度作曲をやってみようか」とあらためて思いました。それで王さんに「私に作曲を教えてください」とお願いしました。その時の王さんの言葉が凄かったです。「あなた、今までの自分の音楽すべて捨てられますか?」それが、王さんの答えであり私にとって再出発のきっかけとなる教えとなりました。

山口:「すべて捨てる」凄い言葉ですね。それで岩瀬さんはどうされたんですか?

岩瀬:そんなタイミングで「うたものがたり 山になった巨人」という韓国民話を作曲することになりました。作曲する中で私は今までの音楽的な常識を、どんどん捨てる作業をやっていきました。いわゆる音楽理論上禁則とされるようなことをあえてやってみたり、今までの自分の音楽づくりを極力否定していったんです。結構大変な作業でした。ある意味修行にも似たところがありました。

山口:修行ですか。

王燕樵氏

岩瀬:そう正に修行です。CD「心澄ませて」の編曲もそうでした。そのアルバムを創っているときにも、王さんと会う機会があってビールを飲みながらですが編曲について相談しました。すると「ビールは瓶の中にあってもグラスに移しても、どんな器の中であってもビールであることに変わりわない」と言われたんです。「本質が大切なのだ」ということですね。どんなに煌びやかに飾り立てても「本質」から外れては何の意味もないですからね。話が長くなっちゃいますが、「構成詩曲 にんげんをかえせ」作曲中も同じように相談するとこんな話をしてくれました。これは確か中国の詩人白楽天の言葉を借りての言葉だったと思うのですが「あなたの作品に問題はない。でもあなたの周りはどうですか?」と・・・この言葉は私にはすぐに理解ができませんでした。禅問答と言ってもいいですね。ずっとわからなかったんですが、作曲中の休憩に近くの河原で休んで川を見つめているときに気が付きました。つまり、「どんな立派な作品を創っても人の心を動かせるものであるかが大切なのだ」という意味なのです。川に小石を投げた時に波紋が広がるようにね。

山口:王さんの教えは実に深いものだったんですね。師が言った一言を弟子が考え答えを見出す。正に修行といった言葉がぴったりですね。普通の音楽教育では考えられないことだとも思いますよ。

岩瀬:この他にも馬頭琴の世界的奏者チ・ボラグさん。それから実際にはお会いしていないのですが、作曲家/中野二郎さんも私に大切な教えをくださいました。話すともっと長くなっちゃうので、またの機会にお話ししますね。

山口:岩瀬さんの半生をお聞きした気がします。どうもありがとうございました。


主な作品

● 映画「街道の譜」(豊田市委嘱作品)
●「劇音楽 猩々」(名古屋市緑文化小劇場委嘱作品)
●「合唱組曲 心澄ませて」(たんぽぽ・こすもす保育園委嘱作品)
●「合唱組曲 あったかハートのメッセージ」(北医療生協委嘱作品)
●「構成詩曲にんげんをかえせ」(詩/峠三吉)
●「原爆被爆者証言組曲 虹の碑 母子像」(詩/増岡敏和)
●「のっぽさんとみんなでつくる 私は地球が大好きだ」
●「うたものがたり チロヌップのきつね」(岩瀬よしのりと鬼剣舞)
●「うたものがたり 山になった巨人」(岩瀬よしのりと鬼剣舞)
●「うたものがたり あほろくの川だいこ」(岩瀬よしのりと鬼剣舞)
● 岩瀬よしのりが歌う竹内浩三の世界(詩/竹内浩三)他 多数

※CD代表作に「岩瀬よしのり えんじゅの会作品集 心澄ませて」 「シマウマ」、子ども達と一緒につくった歌のアルバム「ハリセンボン」などがある。